| ●Vol.1 中身の中身 〜コンテンツの時代に〜 (チーフ・ディレクター 松井和男) |
| ●Vol.2 取材こぼれ話 〜地図から消えた国(1)〜 (チーフ・ディレクター 松井和男) |
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| 映画、テレビ番組、ビデオ・ソフト…、それらがすべてコンテンツと呼ばれることになった。コンテンツ時代の到来である。そこでは、あらゆる映像がデジタル信号となって、24時間、多様なメディアを駆けめぐる。いきおい、膨大な量のコンテンツが必要とされる。ざっと、コンテンツ時代のイメージといえば、そんなところだ。 ところで、content(s)という言葉には「中身」や「内容」、そして「満足」という意味がある。だから、コンテンツとはメディアのパイプを流れる「中身」にほかならないが、その「中身」はまた「中身」つまり「内容」なしにはあり得ない。なにやら、玉葱の皮を剥くような話だが、「中身」の「中身」なしには、視聴者の「満足」にも至らないだろう。 最近、こんな文章を読んだ。「新聞の文章が、次々に起こる社会的現象を受け身に追うだけで、事象と通俗的意味づけの奥まで透視する迫力に欠けている。ハッとする知覚の輝きに出合わない」。作家・日野啓三氏が芥川賞の選評のなかで述べた言葉だが、それは、そのまま今のテレビ番組にもあてはまるのではないか。取材対象が人間であれ、自然であれ、それをただ追うだけで、あとはナレーションで一般に流通する陳腐な意味づけをしてこと足れりとする。そんな番組が多いのではないか。そこでは、いつも「人はけなげに生きて」いたり、「自然と共生」していたりする。そして、いつも「自然はかけがえがなく、その存続はわれわれ人間の手に委ねられている」。それはその通りかもしれないが、そこには「ハッする知覚の輝き」はない。「通俗的意味づけの奥まで透視する」独自の視点や切り口がない。 チェコ出身の作家ミラン・クンデラは、小説『存在の耐えられない軽さ』でこう書いている。「重さ―軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だ。…重さと軽さという考え方に光を当てて初めて、彼のことをはっきりと知ることができた」。彼とは、優秀な外科医だが、女たらしの小説の主人公トマーシュのことである。クンデラは、「重さ」と「軽さ」、つまりあらゆる束縛を逃れて女性から女性へと渡り歩く軽い生き方と一人の女性や難局にある祖国に縛られる重い生き方、そのはざまで揺れ動く人物としてトマーシュをとらえることで、はじめて「彼のことをはっきりと知ることができた」のである。 何かを表現するということは、そのたびに新しい切口、視点を発見することにほかならない。 かつて、演出家の蜷川幸雄氏のドキュメンタリーを作ったことがある。蜷川さんといえば、突飛な演出をするので有名だ。彼の代表作の一つ『NINAGAWAマクベス』では、仏壇のセットの中でシェイクスピアの『マクベス』が演じられる。蜷川さんはその理由を番組のなかでこう語っている。「西洋の物語をわれわれ日本人の物語にするには、どうすればよいか」思案しているとき、たまたま実家に帰り仏壇に手を合わせていたら、「仏壇を前に祖先の霊を思う立場に観客を置けば、西洋の物語が日本人にも伝わる普遍的な物語になる」とひらめいたのだという。つまり、自分の年老いた母親にもわかる普遍性を求めた結果、彼は新しい視点を獲得したのだ。 膨大なコンテンツが必要とされるコンテンツ時代。それは、当面、限られた制作費がより多くのコンテンツに分散されることになるから、安直なものづくりを招きかねない。そればかりでなく、メディアのパイプが増えれば増えるほど、コンテンツはジャンルによって細分化されていく。たとえば、「スポーツ」「趣味」「癒し系」「経済情報」等々。それは、ファンやマニアなど特定の志向をもつ人々を対象とするから、少なくとも今までのテレビが不特定多数の人にものを伝えるために払ってきた普遍性を求める努力も放棄される可能性がある。必要な情報を必要な人に与えればよいとなれば、意味づけや普遍性はもはや必要なくなるからだ。 総じて、コンテンツ時代とは、「重さ」よりは「軽さ」に向かっているようだ。クンデラが言うように、「重さ―軽さ」ほど「ミステリアスな対立」はないから、それがよいことか悪いことかはわからない。しかし、コンテンツとはメディアのパイプを流れる「中身」であると同時に「内容」である。そして、その「内容」は、作り手の独自な視点や切り口なしには、「…のようなもの」の量産に終わるだろう。 どうやら、小生の考えは、「軽さ」より「重さ」に傾いているようだが、独自の視点や切り口をもっていささかなりともオリジナリティーのあるコンテンツを作っていきたいと思う。できれば、「軽い」と見えて「重い」もの、「重い」と見えて「軽い」ものを。なぜなら、映像とは多義的なものでもあるからだ。 以上、理屈っぽい話になって恐縮だが、自戒の意味を込めて書いた。次回からは、過去の制作体験を交え、もっと気楽な話にしたいと思う。 |
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| チーフ・ディレクター 松井 和男 (2000年12月) |
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| 1980年代半ばのある日のこと。東京・赤坂にあるプロダクションの試写室で、カメラマンと小生は、現像の上がってきたラッシュ・フィルムの試写を行っていた。海外情報番組のために、東ドイツとイギリスを回って撮影してきたフィルムだ。そのうち、被写体が明るいときは目立たないが、被写体が暗くなると、画面が周期的にポワーッと白っぽくなるのに気づいた。しかも、その間隔はロールの終わりに近づくほど短くなる。やられた。X線に感光したのだ。このフィルムが使えないとなると、今回の取材はすべて無駄になる。番組ができない。一大事である。そんな事故を防ぐため、空港での検査には気をつかうのが、われわれ取材クルーの常識だ。いったい、いつ感光したのか、今回の取材ルートを思い返してみた。そうだ、それしか考えられない。自分の犯した不注意なミスを思い出し、冷や汗が出た。 デンマークのコペンハーゲン空港。 航空券をもってカウンターに駆けつけた小生に、係員は首を横に振る。窓から見える滑走路では、われわれが乗るはずだった東ドイツ機が、すでにタラップを外されて離陸の合図を待っている。なんてことだ、乗り継ぎの飛行機に遅れたのだ。フィルムや三脚、照明機材を乗せた飛行機は、無情にもわれわれを置いて飛び立とうとしている。その行き先がほかの国ならまだいい。しかし、われわれの行き先は、体制の違う、鉄のカーテンの向こうの国である。当時、取材のために社会主義国に入るには、何ヵ月も前から準備が必要だった。日本の東ドイツ大使館からは、東ベルリンの空港で、われわれの受け入れ先になる国営テレビ局のスタッフが待っているといわれている。予定の便で着かなかったら、どうなるのか。これまでの準備が水泡に帰するのではないか。急に胃が痛くなった。 それより数時間前。日本からコペンハーゲンの空港に着いたカメラマンと小生は、手荷物で持ってきたカメラとテープレコーダーをロッカーに入れると、タクシーを拾ってコペンハーゲンの街に向かった。乗継ぎの長い待ち時間を潰すため、気晴らしをしようと思ったのだ。アンデルセンの童話でおなじみの、人魚の像を見た。有名な遊園地チボリ公園はさすがにパスしたが、のんびり散歩を楽しみ、手頃なレストランを見つけて、ワインと昼食としゃれこんだ。その注文を終えたとき、ふと、不安にかられた小生は、念のため航空券をチェックした。と、もう間もなく、乗り継ぎの東ドイツ航空機が出発する時間ではないか。最初から、乗継ぎの待ち時間を2時間も勘違いしていたのだ。注文をキャンセルすると、タクシーに飛び乗った。 しかし、時すでに遅し。後悔してもはじまらない。なんとか、この不測の事態を切り抜けなければならない。すべては自分の責任である。小生は考えた。すでに、今日、東ベルリンへ行く便はない。だが、西ベルリンなら西側の飛行機が何便も飛んでいるのではないか。カンウンターで聞くと、フランクフルト経由で西ベルリンに行くルフトハンザ便があるという。西ベルリンと東ベルリンは隣同士だ。とにかく西ベルリンにまで行けば、どうにかなるのではないか。航空券を切り替えてもらい、チェック・インする。 さて、空港で待ち惚けをくらっている東ドイツ国営放送のスタッフは、どうすればいい。空港の国際電話で、東ドイツの放送局に連絡を入れる。こちらの事情がわかったのか、わらないのか、要領を得なかったが、何とか今日中に、予約した東ベルリンのホテルに入ると連絡する。あとは、フランクフルト行きの飛行機を待つだけだ。しかし、西ベルリン到着は、夜10時を過ぎる。それから、どうする。小生はまた考えた。そうだ、チェックポイント・チャーリー。スパイ小説で読んだ東西ベルリンの国境だ。空港についたら、そこまで行こう。あとは、運を天にまかせるしかない。 ルフトハンザ機は予定通り、西ベルリンの空港に着いた。タクシーを拾う。チェックポイント・チャーリーだ。できれば東側まで行きたい。そう告げると、この時間には、国境を越えられないと運ちゃんは言う。はじめての西ベルリンの街も目に入らないまま、不安な思いのわれわれを乗せたタクシーは、ちょっとした横丁のようなところで停まった。チェックポイント・チャーリーだという。見れば、確かに赤と白の縞模様のバーを渡した国境があり、その手前には高速道路の料金所のような詰め所がある。アメリカ、イギリス、フランスの国旗が立っている。いまだに、戦後の分割統治が続いているのだ。カメラマンは16ミリのカメラを抱え、小生はテープレコーダーを肩にかけ、とぼとぼと歩いて国境に向かった。詰め所に詰めていたのはアメリカ兵。パスポートを見せると、うなずいて通してくれた。国境を越えると、今度は東ドイツ兵が立っている。パスポートを開いて、東ドイツの入国ビザを確認すると、すぐにスタンプを押してくれた。あっけないほど簡単だ。すっと胃が軽くなった。あたりを見回すと、空襲の傷痕を残し、廃墟と化した建物が闇に浮かんでいる。これは、映画「第三の男」の世界ではないか。映画が描いた戦後間もないウィーンの街と、目の前の風景が重なり、スパイ小説の登場人物になったような気分だ……。(つづく) |
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| チーフ・ディレクター 松井 和男 (2001年8月) |